【主宰者コラム】営業と現場の対立「日本に哲学なし」

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営業と現場の対立は、製造業に限らず日本企業において永遠のテーマではないかと思います。両者を調停するわけではありませんが、根っこが一つの問題ではないかと思っています。それは日本民族の性質の裏表ではないかというのが今回の試論です。

 

現場の営業への「口先三寸」という不信感、営業の現場の鈍重さへの嘆き、それぞれは深刻なものがあります。

 

実は、その根底には中江兆民が言った「日本に哲学なし」が当てはまるのではないかと思います。日本民族は、法廷で大衆に向かって真実を説得するソクラテスの弁明を経験してません。スピーチの本質には、真実の説明という側面がありますが、その歴史を経験していない日本人には、スピーチは「うまいことを言った人の勝ち」という印象が拭えず、口舌の徒への不信感が根深いものがあります。

中江兆民「日本に哲学なし」

 

悪意の有無は別として、真実の弁明という根っこがないとスピーチは基本的に詐欺師的になります。ソクラテスが活躍した当時のソフィストはディベートで真実を自己利益に誘導する詐欺師的存在でした。口の上手い人が全て詐欺師であるというわけではありませんが、日本の商社や営業マンが全般的に技術の本質を見抜く目がなく、本質を説明することは苦手で詐欺師に映るのは、真実を伝えるのではなくソフィスト的にセールストークをするからだと思います。

 

もう一方で現場の人達が閉鎖的であるということも言えると思います。「盗んで覚えろ」と技術を他者に説明できないのもまた問題です。技術を見える化・普遍化することができません。常々、技術継承の重要性が語られながら実行に移されないのは、詰まる所、哲学するという普遍化の知的作業に慣れていないからだと思います。

 

いずれに共通しているのは、日本に哲学なし」、ひいては日本人は基本的にコミュ障民族だということです。基本的に、地道にモノをつくることしかできないのです。日本でノーベル賞を受賞できるのも実験系だけなのはこのような理由があってのことだと思います。真実を追求してそれを弁明する哲学がない上に地道にモノをつくれず、現場で修行をしていない日本人は、必然的に詐欺師的になるのだと思います。

 

日本では優秀な起業家はみな現場密着型です。詐欺師的だとバッシングを受けたホリエモンですら現場のプログラマ上がりでした。創業者は現場密着型であっても、二代目はそうでもないので、コンサルの言うことを鵜呑みにしてに騙されてしまい、中身がスカスカの会社になった事例は枚挙に暇がありません。

 

スティーブ・ジョブズみたいにビジョンが先にあって物をつくることができる人は、基本的に日本人にはいないと思います。「日本に哲学なし」が続く限りは、日本人は基本的に現場で手を動かしてものを地道にモノをつくるしかないと思います。

 

スティーブ・ジョブズは禅仏教に関心がありましたが、日本人のコミュ障っぽいところとは無縁の人で、基本的に瞑想だけを自己流に取り入れたのだと思います。「日本に哲学なし」を続けているのであれば、日本人はスティーブ・ジョブズに憧れるのは止めにした方が良いのではないかと思います。

 

私は哲学エンジニアとして、製造業の現場で泥んこになった経験として、このような試論が練られました。文章にして不特定多数に公開するのは初めてです。どのように受け止められるでしょうか。

 

それでは「文句ばかりたれずに対案を提示しろ」となじられるのが昨今の風潮です。私が提示している対案は、哲学エンジニアとして哲学カフェを営むことです。営業も現場も哲学の精神を体得することによって、真実の追求と普遍化の作業に慣れることができ、それぞれの本質を育むことができるようになります。

 

哲学カフェを営業と現場の深刻な対立を止揚する一つのきっかけとしていただければと願います。

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